「命の授業」自分で孵化させて自分で食べる

九州の高校の授業。

自分たちで鶏の卵を孵化させて、育て、そして、食べる。最終的に自分たちで命を奪うか業者に任せるかはそれぞれ選択できるみたいです。名前をつけて一生懸命育てたからこそ最後に命を奪う時にみんな泣いてしまう。

「命の大切さや有り難さ」に気がつくんだと思います。普段言っている「頂きます」の意味が変わる。

食の教育としては最高ではないでしょうか。

24分もあるので暇な人はどうぞ

私も以前までは、スーパーでお肉を見ても「美味しそう」、「高い」、「安い」程度の感情しか無く、パック詰めされたお肉に命の有り難さなんて感じたこともなかった。

家畜ってどうせ食べられてしまうんだから、機械的にドンドン生産されお肉にされていくイメージでした。

でも、実際は違うですね。
豚や牛だって凄く愛情を込めてちゃんと育てられているんです。

それに気づいた時に、食べ物に対する感謝の気持が変わりました。

動物は何かの命を奪って生きているんですよね。当たり前だけど忘れちゃいけないことなんだと思います。

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5 Comments

  • Hunter Jay 2013-12-20 at 16:23 Reply

    こんにちは。いつも楽しくブログ拝見させていただいております。
    今回、初めてコメントさせていただきます。
    今回のレポ。感慨深く拝見しました。
    自分も空気銃猟で獲物を捕らえてます。獲物を撃って、殺して、処理して、食べる。
    スーパーでお金出して肉を買う人より命の大切さをしっているつもりでしたが、
    この映像を見て、更に命の大切さが身に染みました。
    やはり「いただきます。」の意味をきちんと子供たちに伝えなくては・・・と再確認しました。
    貴重な映像をアップして頂きありがとうございました。

  • やんま 2013-12-20 at 21:21 Reply

    初コメありがとうございます。
    命の大切さ、食への感謝を教えるというのはとても大切なことだと思います。
    子供たちにうまく伝わるといいですね。

  • おたり 2013-12-26 at 23:21 Reply

    ライフルマンです。
    ですが、私は、この「授業」に反対です。
    命は、公教育が扱うべきではない。
    なぜなら、
    まず、国によってそういう教育がなされると、命の基準が、その時の政府の基準によって左右されるからです。
    政府の基準が悲しい事に多くの場合正しくない事は。歴史が証明しています。
    二番目として、
    「大切に育てる」と言う事と「その命を奪う」事が、
    すべての人間に耐えれる事はないと考えるからです。
    なぜなら、東大に入るのも一部であり、ホームレスになるのも一部。オリンピックに出るのも一部、卒業すればすっぱりやめる人もいる。人生いろいろ、能力いろいろ。
    すべての生物はいろいろな能力において、正規分布しているからです。
    ですから、すべての生徒に「心情に関する」事について「教育の名の下にそれを強要する」のは、教育の暴力に他なりません。
    すべての生き物は命をいただいている。
    しかし、それは「宿命」としてであって、
    命をつなぐ事と、命を奪う事は、あくまでも表裏一体ではあるが、同一ではないことに気づくべきです。
     鬼子母神は、我が子を生かすために、他の子供を殺した。
    これは、生物としては正当かもしれないが、
    人間としては不当です。これがヒントになりませんか?
    「かわいがって育てた生き物を」「我が手で殺す」のは、一般的に「人間としてやってはいけない行為」です。
    対戦末期に、米軍の侵攻から守るため、我が子を兄弟を親を殺した。
    それと、この授業は同じです。
    極限状態になって残るのは畜生と同じ「弱肉強食」です。
    それを、おそろしいことに「公教育」として「強要」している。
    この学びから「殺しても心が病まない」人間が生み出されている可能性があります。
    もちろん、そうでない人もいるでしょう。
    また、誰かが生き物を殺さなくてはならない、それをする人も当然「社会的に」必要です。
    しかしそれは「職業の選択」の一つとして「自由意志に」まかされている、のではないでしょうか?
     ライフルをする人の中にも、狩猟をする人もいるし、しない人もいる。
    また、狩猟をする人の中でも、有害をする人も入れば、しない人もいる。
    それを許容できるのが大人の社会であり、公正で自由な社会だと思います。
     もちろん、そういうことを「家庭」あるいは「近隣地域」で行う事は、
    それぞれ「文化や慣習」として必要な場合がありますし、
    当然、スーパーの肉の前に生き物がいたと言う事は知らなくてはなりませんし、
    死んだカブトムシに電池を入れようとする子供には、もっと生き物体験をさせなくてはなりません。
     ですが、「公教育」として「不特定多数の集団」に対して、
    「育んだ命を」自らの手で「奪う」事を教育とするのは、間違っています。
    それは「愛」と「略奪」の混合です。
     許容する範囲が少しあるとすれば、この高校が、「農業や畜産系」の高校と言う事でしょうか?
     もしこの事をネットに公開する上で正当化の立脚点にするのであれば、
    「畜産高校では」と、大書きすべきです。それが少なくともネットのエチケットだと思います。
     命を奪う事はあり得ます。
    しかしそれが「愛情」の上で成される事が「一般化」される事は、「大間違い」です。
    「愛」は「与える」もので「奪う」ものではありません。
     

  • やんま 2013-12-27 at 00:39 Reply

    ライフルマンさん、コメントありがとうございました
    私が子供の頃、田舎に行くと隣の家の庭には鶏がいて、正月になると〆ていました、昔はそういったお家はたくさんありました。
    大切に育てて、そして食べる。
    それが田舎では当たり前だったのに、教育上悪いとは思えません。
    家畜の肉を食べるということはそういうことだと思っています。
    ただ、この教育は賛否両論があるだろうし、色々な考え方があっていいともいます。

  • おたり 2013-12-28 at 06:13 Reply

    やんま様、返信ありがとうございました。
    ご気分を悪くさせたのではないかと思い・・・済みませんでした。
    私も少し説明不足の頃があったので、書き加えさせて下さい。
    私も家畜としての動物としての鶏なら、殺す為に育てて殺して食べる事に異論はないですし、
    それを家庭で子供に見せたりさせる事は必要だと思います。
    あの番組への違和感は、
    卵に名前を書かせたり、といった、
    ペットに類するかのような、家畜以上の過度の愛情移入があることです。
    しかしもちろん、家畜だからといって愛情を与えない事はないですし、
    ペットも家畜も同じ「命」としての重要さでは優劣はありません。
    ・・・難しいですね。
    しかしとにかく問題は番組であって、やんま様ではありません。
    いろいろ書き込んで済みませんでした。
    これからも頑張って下さい。応援しています。

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